1996-04-12 第136回国会 衆議院 本会議 第17号
学徒出陣により学業を中断された後、終戦とともに大学に復学された先生は、卒業に当たって元最高裁判所長官田中耕太郎博士の推薦により、郷里の大先輩であった永野護先生の秘書として前後十年余り仕えられ、その後永野先生が運輸大臣に就任されるや、その秘書官となり、実務多端な大臣を支えて挺身されました。このころから君の才腕は広く政官財界に知られるようになったのであります。
学徒出陣により学業を中断された後、終戦とともに大学に復学された先生は、卒業に当たって元最高裁判所長官田中耕太郎博士の推薦により、郷里の大先輩であった永野護先生の秘書として前後十年余り仕えられ、その後永野先生が運輸大臣に就任されるや、その秘書官となり、実務多端な大臣を支えて挺身されました。このころから君の才腕は広く政官財界に知られるようになったのであります。
今、思いますのに、私が今日ありますのは、今は亡き田中耕太郎先生(元最高裁判所長官)、永野護先生(元運輸大臣)、永野重雄先生(元日本商工会議所会頭)のお三方から受けました教えのかずかずと、励ましてあります。
太平洋戦争敗戦の後、永野護という人が敗戦真相記という文章を書いておりますけれども、なぜ日本が戦争に負けたか。その中でこの永野という人が言いたかったのは、やはり日本の歴史の中でも最も指導者がいない、いわゆる人材の端境期にこの太平洋戦争が起こったということを書いております。そういう意味では、非常に危険な時代に突入しているかなどいう気もいたします。
永野嚴雄君は、日本の政財界に一時代を築かれた永野護氏の長男として大正七年東京で生まれられました。大変恵まれた家庭で育てられ、旧制広島高等学校を経て、昭和十六年東京帝国大学法学部を卒業、在学中に高等試験司法科試験に合格され、直ちに海軍に入隊をされました。
三十四年の三月の十三日、衆議院予算委員会で、時の総理岸信介氏と通産相の永野護氏の両氏が、フィリピン、インドネシア賠償とからんで木下商店から熱海の別荘をもらったというような事件が今澄氏によって火がつけられ、大問題となっております。
実はそのときたまたま議員をやめられました永野護さん、当時の参議院議員が、ここで発言を求めた。ところが、ちょっと考えておって、私発言をやめますと取り消して、そして委員会閉会後食堂で、永野さんは何回も行きましたが——内容を聞きました。けしからぬ話があるわけです。しかし、これも私いまここで申し上げません。言うべき筋のことではないですから申し上げませんが、そういう経過があるわけです。
永野護、元運輸相、大臣就任十日後に伊豆急行の新設申請を認可した。瀬戸山三男、元建設相、九州縦貫道路を選挙区宮崎県のところで曲げさせた。こう載っているわけです。これがいわゆる政治路線である。そしてここにあげられた代表的な線がどのような営業係数になっているかというと、能登線が三二四です。一億四千万円の赤字。只見線が二三九、久大線は一七一、矢部線が二二九です。
吉野信次君、石橋湛山君、宮澤胤勇君、中村三之丞君、永野護君、重宗雄三君、楢橋渡君、南好雄君、木暮武太夫君、斎藤昇君、それから私です。
委員長 井上 清一君 理事 青柳 秀夫君 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 草葉 隆圓君 永野 護君 堀木 鎌三君 加藤シヅエ君 羽生 三七君 佐藤
委員長 井上 清一君 理事 青柳 秀夫君 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 草葉 隆圓君 杉原 荒太君 苫米地英俊君 永野 護君 堀木 鎌三君 山本
去る四日、戸叶武君、村山道雄君、吉武恵市君、三木與吉郎君及び田畑金光君が辞任され、その補欠として佐多忠降君、永野護君、笹森順造君、野村吉三郎君及び曾祢益君がそれぞれ選任されました。 —————————————
昭和三十七年五月四日(金曜日) 午後三時四十五分開会 ————————————— 委員の異動 五月二日委員村山道雄君辞任につき、 その補欠として永野護君を議長におい て指名した。 本日委員永野護君辞任にりき、その補 欠として村山道雄君を議長において指 名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
五月二日付をもって村山道雄君が辞任され、永野護君が選任。同じく四日付をもって永野護君が辞任され、村山道雄君が選任されました。 —————————————
本日委員笹森順造君、苫米地英俊君及 び永野護君辞任につき、その補欠とし て吉武恵市君、川上為治君及び村山道 雄君を議長において指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
永野護君が辞任され、その補欠として村山道雄君が選任されました。 —————————————
委員長 井上 清一君 理事 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 苫米地英俊君 永野 護君 堀木 鎌三君 山本 杉君 戸叶 武君 羽生 三七君 吉田
委員長 井上 清一君 理事 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 草葉 隆圓君 永野 護君 堀木 鎌三君 山本 杉君 加藤シヅエ君 羽生 三七君 森
昭和三十七年四月二十三日(月曜日) 午後一時五十三分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十一日委員永野護君及び単葉隆 圓君辞任につき、その補欠として岸田 幸雄君及び仲原善一君を議長において 指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
四月二十一日永野護君、草葉隆圓君が辞任され、その補欠として岸田幸雄君、仲原善一君が選任されました。 —————————————
○永野護君 坂本先生に一つ伺います。 反対理由を四つお述べになりましたが、私はここで聞いておりまして、最後の一項、すなわち、日本の外交の基本方針、根本方針がまだきまっていないのじゃないか、つまり、その場その場の思いつきじゃないかというような点が一番ポイントじゃなかったかと思うのであります。
委員長 井上 清一君 理事 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 杉原 荒太君 永野 護君 堀木 鎌三君 山本 杉君 佐多 忠隆君 羽生 三七君 田上
本日委員岸田幸雄君及び仲原善一君辞 任につき、その補欠として永野護君及 び草葉隆圓君を議長において指名し た。 ————————————— 出席者は左の通り。
委員長 井上 清一君 理事 木内 四郎君 大和 与一君 委員 草葉 隆圓君 杉原 荒太君 苫米地英俊君 永野 護君 堀木 鎌三君 山本 杉君 佐多 忠隆君 羽生
委員長 井上 清一君 理事 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 杉原 荒太君 苫米地英俊君 永野 護君 佐多 忠隆君 羽生 三七君 森 元治郎君 佐藤
委員長 井上 清一君 理事 鹿島守之助君 木内 四郎君 大和 与一君 委員 杉原 荒太君 苫米地英俊君 永野 護君 堀木 鎌三君 加藤シヅエ君 佐多 忠隆君 森
○永野護君 もちろん権利として云々というようなかた苦しいことをあれしておるのじゃないのですけれども、希望として言いますと、その金の使い道を東南アジア、特に東南アジアなんかに関しましては、日本が一番よく知っておるわけですから、こういうところへ出してくれというような、権利というかた苦しいあれでないまでも、そういう道があらかじめ了解事項の中に加わっておりますと、権利というまでにならなくても、相当な発言権といいますか
○永野護君 関連質問。今のアメリカの予算で、アメリカが低開発国に出すということになりますと、形の上からいうと、日本は無関係になるのですか。あるいは、日本も相談を受けて、あるいは、相談を受けるというよりも、むしろ日本がイニシアチブをとって、こういうところへ、こういう産業に出してくれというような発言権が日本にあるのですか。全然アメリカの適当と思うところへ出すことになっておるのですか。